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孤独と幸福について、人生論ノートより。 [言葉のおすそ分け]

少しタイミングを逃した話になってしまいますが、先日テレビドラマ「相棒」を見ていた時に、ある哲学者の言葉が引用されていました。

「孤独は山になく、街にある」

これは戦前の哲学者、三木清さんの言葉なのですが、言い得ていると思いませんか?


「(孤独は)ひとりの人間にあるのでなく、大勢の人間の“間”にあるのである。」
「むしろひとは孤独をのがれるために独居しさえするのである。隠遁者というものはしばしばかような人である」

人生論ノート (新潮文庫)

人生論ノート (新潮文庫)

  • 作者: 三木 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1978/09
  • メディア: 文庫


私もそうですね。

ふと孤独を感じるのは、人ごみの中にいるとき。
雑踏や、学校や、ときには友人たちとカラオケなんかに行ったとき。



さて。
せっかくなので、本書からいくつか言葉を紹介します。

・すべての人間の悪は孤独であることができないところから生ずる
・実際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病気の回復)としてしか健康を感じることができないのではないだろうか。
・嫉妬はつねに多忙である。嫉妬のごとく多忙で、しかも不生産的な情念の存在を私は知らない。
・愛情は想像力によって量られる。
・ひとは温かさによって生命の存在を感知する。
・感傷はただ感傷を喚び起こす、そうでなければただ消えてゆく。
・希望に生きるものは常に若い。いな生命そのものが本質的に若さを意味している。


この本のなかで、私は幸福についての項が特に好きです。なので、以下は幸福に絞って紹介。

・幸福について考えることはすでに1つの、おそらく最大の、不幸の兆しであるといわれるかもしれない。健全な胃を持っている者が胃の存在を感じないように、幸福である者は幸福について考えないのであるか。
・愛するもののために死んだ故に彼らは幸福であったのではなく、反対に、彼らは幸福であった故に愛する者のために死ねる力を有したのである。
・日常の小さな仕事から、喜んで自分を犠牲にするというに至るまで、あらゆる事柄において、幸福は力である。

・幸福は人格である。
ひとが外套を脱ぎ捨てるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎ捨てることのできるものが最も幸福な人である。
しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。
彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と1つのものである。
この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが倒れてもなお幸福である。

・幸福は表現的なものである。
鳥の歌うがごとく、おのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。


この本、文庫でたったの362円(税別)。それでこの智慧(のきっかけ)を手に入れられるなんて。格安すぎでしょう。
タグ:名言 三木清
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